一方の幕府軍も、夜になって周囲が真っ暗になると、夜陰にまぎれて敵船に乗りこんで火をつけ、あわてた敵兵を討ち取るといったゲリラ戦を敢行するなど健闘を重ね、戦いは膠着(こうちゃく)状態となりました。
そして旧暦7月30日(現在の暦で8月15日)、北九州方面を襲った大暴風雨によって、元軍の乗っていた軍船がことごとく破壊され、多くの兵が亡くなりました。戦意を喪失した元軍は高麗へと引き上げ、国内に残った兵も幕府軍の掃討戦によって討ち取られました。元軍との二度目のこの戦いは、当時の年号から「弘安の役」といい、文永の役とともに「元寇(げんこう)」または「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」と呼ばれています。
さて、外国による本格的な来襲という有史以来最大の危機を乗り越えた我が国でしたが、その背景に勇敢に戦った鎌倉武士の大きな功績があったのはまぎれもない事実です。元寇の時期がたまたま武家政権の鎌倉幕府の支配であったことも幸いしましたが、我が国の勝利には、それ以外にも様々な理由がありました。
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