元との再戦を決意した北条時宗は異国警固番役を強化するとともに、全国の御家人に命じて博多湾沿いに石造の防塁である「石塁(せきるい)」を築き、元の再来襲に備えました。
我が国の強硬な姿勢に対して、再び日本を攻める決断をしたフビライは、1279年に南宋を滅ぼすと、返す刀で弘安(こうあん)4(1281)年の旧暦5月から6月にかけ、兵数約14万人という前回の4倍以上の兵を二手に分けて、再び博多湾に差し向けました。
軍船約4,000隻(せき)の大船軍団が博多湾を覆(おお)い尽くすかのように来襲し、それこそ黒雲のような矢の雨を降らせてきましたが、防備力の高い石塁が存在していたことや、文永の役を経て相手の戦法を理解していた幕府軍が冷静に戦ったこともあって、元軍はなかなか上陸ができませんでした。
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