この他にも、いわゆる「てつはう」と呼ばれた爆発物に馬も武士も大いに戸惑うなど、元軍流の戦闘に不慣れな幕府軍は苦戦を強いられましたが、亡国の危機に際して、懸命に戦い続けた幕府軍の武力は決して元軍に引けを取らず、逆に彼らを追いつめることになるのです。
それまで圧倒的な武力で他国を屈服させ続けてきた元軍でしたが、幕府軍による彼らがこれまでに受けたことがないような激しい抵抗は、元軍に大きな被害をもたらすとともに、彼らを恐怖に陥(おとしい)れました。
やがて元軍は沖合に船を避難させると、何とそのまま高麗まで退却してしまったのです。この戦いは、当時の年号から「文永の役(えき)」と呼ばれています。
なお、これまでの通説では、季節外れの暴風が吹き荒れたことで元軍が退却したとされてきましたが、実際は「意外な抵抗を受けて怖くなった元軍や高麗軍が逃げ帰った」というのが真相であり、日本側の記録にも「朝になったら敵船も敵兵もきれいさっぱり見当たらなくなったので驚いた」と残されています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。