その後、我が国で鎌倉幕府が成立して間もない13世紀始め頃、大陸で金の支配下にあったモンゴル高原にテムジンがあらわれると、モンゴルは「チンギス=ハン」と称したテムジンによって統一されました。チンギス=ハンはその後も征服を続け、中央アジアから南ロシアに至る広大な地域を領有しました。
チンギス=ハンの後継者であるオゴダイ=ハンは遠くヨーロッパまで征服するとともに、1234年には金を滅ぼし、アジアから東ヨーロッパにまたがる大帝国を建設しました。チンギス=ハンの孫のフビライ=ハンは、チャイナを支配するために都を大都(だいと、現在の北京)に定めて国号を「元(げん)」と改め、朝鮮半島の高麗(こうらい)を服属させました。
要するに、中国大陸に広大な領土を持つ帝国が現れ、かつ朝鮮半島がその支配下に置かれたことによって、周りを海で囲まれた我が国といえども、他国からの侵略にさらされる危険性が高まったのです。そして、文永(ぶんえい)5(1268)年旧暦1月には、高麗の使者がフビライの国書をもたらし、我が国に対して武力を背景に服属を要求してきました。つまり「日本よ、自分の家来になれ!」と命令したわけです。
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