兵庫や淀といった各地の湊(みなと)や大河川沿いの交通の要地には、年貢の輸送や保管にあたる問丸(といまる、別名を問=とい)が発達し、陸上交通の要地には宿(しゅく)が設けられるようになりました。
売買の手段としては、従来用いられてきた物々交換(ぶつぶつこうかん)に代わって輸入された宋銭(そうせん)が使用され、遠隔地間の取引には為替(かわせ)が利用されました。貨幣経済の発達によって、荘園の一部では年貢の支払いも銭納(せんのう)で行われるなど便利になった一方で、銭を貸して高い利息を取る金融業者の借上(かしあげ)が現れました。
借上は分割相続による所領の細分化によって生活に苦しむようになった御家人に融資して、支払いが滞(とどこお)ると御家人の権利を取得して荘園の管理権を得る者まで現れるなど、経済の発達は鎌倉幕府の根本である御家人の生活にまで大きな影響を及ぼすようになっていきました。
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