地頭による非法に対し、荘園・公領の領主たちは訴訟によって事態を解決しようとしましたが、現地に根を下ろした地頭の行動は次第に無視できないものになっていきました。そこで、領主側は地頭との紛争を避けて収入を確実に得るため、やむを得ず地頭に荘園の管理一切を任せて一定の年貢収入だけを請け負わせるという「地頭請所(じとううけしょ)」の契約を結びました。これを「地頭請(じとううけ)」ともいいます。
この他にも、現地の土地を分割して地頭に分け与え、別々の支配を認め合うという「下地中分(したじちゅうぶん)」も行われるようになるなど、地頭の権限はさらに強化されていきました。これらの背景には、武士が政治の実権を握ったことで地位が飛躍的に上昇したのみならず、強い武力を持っていた地頭に対して荘園領主が何もできなくなってしまったという実情がありました。
鎌倉幕府の方針も基本的には当事者間の取り決めによる解決を進めたことで、荘園などの現地の支配権は次第に地頭の手に移っていきました。まさに「泣く子と地頭には勝てない」といったところでしょうか。
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