そして、近衛が首相に就任する直前の昭和12(1937)年4月には、朝日新聞の記者で後に近衛の有力なブレーンとなった、かのゾルゲ事件で有名な尾崎秀実(おざきほつみ)も参加しています。
首相に就任した直後、近衛は「国内各論の融和」を理由として治安維持法に違反した共産党員や二・二六事件の逮捕・服役者を大赦(たいしゃ、有罪の判決を受けた者への判決の効力を失わせる=釈放したり捜査を終了したりすること)しようと主張して、元老や重臣らの政府関係者を驚かせました。
近衛の思惑は結局実現しませんでしたが、この大赦論は皇道派の将校の救済が主な目的だったとされている一方で、大赦の対象者の多くが社会主義あるいは共産主義者の熱心な運動者であったからではないかという見方もあります。
そして、そんな彼が首相に就任した翌月に起きた「ある出来事」をきっかけとして、我が国を含む全世界を揺るがした大きな戦争へと導かれてしまうのです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。