五摂家の筆頭は近衛家(このえけ)でしたが、その血筋は江戸時代に一旦は断絶したものの、外孫(=他家に嫁いだ娘にできた子のこと)として皇室の血統を迎えたことで高貴さが強化されていました。
やがて明治維新を迎えると五摂家は華族となり、爵位(しゃくい)としては最高の公爵(こうしゃく)に叙(じょ)せられるとともに貴族院議員を務めました。そんな家柄の嫡男(ちゃくなん)として生まれた近衛文麿は、若い頃から端正(たんせい)な風貌(ふうぼう)かつ颯爽(さっそう)とした長身を持ち、大衆的な人気を得ていました。
そして昭和12(1937)年6月に、近衛文麿はついに内閣総理大臣となりました。血統が異なるとはいえ、藤原氏の末裔(まつえい)が国政の最高責任者として君臨する日がやって来たことに、悠久(ゆうきゅう)の日本の歴史の大きな流れを実感した人々は当時もさぞかし多かったことでしょう。
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