しかし、翌昭和12(1937)年1月の第70回帝国議会において、立憲政友会の浜田国松(はまだくにまつ)議員が軍部の政治への干渉を痛烈に批判した演説を行ったことをきっかけに騒動が起きました。
演説を聞いた寺内寿一(てらうちひさいち)陸軍大臣が「軍を侮辱(ぶじょく)しているのではないか」と答弁すると、すかさず浜田議員が「私の発言のどこが侮辱なのだ」と切り返し、寺内陸相が「侮辱したように聞こえた」とたたみかけると、浜田議員は一歩も引かずに「速記録を調べて侮辱した言葉があれば私は腹を切って謝罪するが、なかったら君が割腹(かっぷく)せよ」と激しく詰め寄ったのです。
浜田議員と寺内陸相とのいわゆる「腹切り問答」に議場は大混乱となり、翌日から停会しました。激怒した寺内陸相は広田首相に議会の解散を要求し、受けいれられなければ辞職すると言い張りました。
首相らは何とか寺内陸相を説得しようとしましたが不調に終わったため、広田内閣は閣内不統一を理由に総辞職に追い込まれました。
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