それぞれの著書は、戦後を迎えてから「国民思想の教化を意図したもの」として否定的に扱われることが多いようですが、我が国古来の伝統を擁護(ようご)しようとした思想書であったとする見方もあるようです。
ところで、昭和に入って様々な思想が否定されるという動きの中で、明るい話題もありました。昭和6(1931)年にはラジオの聴取者が100万人を突破し、各新聞も発行部数を増やしました。この時期においても、国民の「知る権利」そのものは確実に広がりを見せていたのです。
また昭和12(1937)年には、当時の広田弘毅(ひろたこうき)首相の発案によって科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績を残した人々に授与される文化勲章(くんしょう)が制定され、物理学者の長岡半太郎(ながおかはんたろう)に初代文化勲章が与えられました。
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