高橋是清(たかはしこれきよ)蔵相の積極財政によって、我が国は金融恐慌(きょうこう)や昭和恐慌など昭和初期に連続して発生した不況からようやく脱出できましたが、それまでの大きな歴史の流れが我が国に国家社会主義思想をもたらしていました。天皇を中心とはしながらも、国家社会主義の本質は「貧富の差を憎むとともに私有財産制を否定して資本を人民で共有する」という点にあり、ソ連による共産主義と何ら変わるものではなかったのです。
国家社会主義は、当時の「エリート中のエリート」でありながらも決して裕福ではなかった若手の青年将校たちが、それゆえに富裕層である地主や資本家あるいは財閥(ざいばつ)に対してやるせない怒りを向けるとともに、彼らと癒着(ゆちゃく)している(と思い込んでいた)政党政治をも敵視したことによって、大きな広がりを見せるようになりました。
我が国における国家社会主義の拡大は、やがて陸軍内に「皇道派」と「統制派」という二つの大きなグループをもたらしました。このうち皇道派が荒木貞夫(あらきさだお)や真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)などを中心として、直接行動で既成の支配層を打倒することによって国家体制の転換を狙った一方、永田鉄山(ながたてつざん)や東條英機(とうじょうひでき)らを中心とした統制派は、革新官僚と結んで合法的に総力戦という名の社会主義体制を実現しようとしていました。
昭和10(1935)年には陸軍省内で執務中の統制派の永田鉄山が皇道派の陸軍中佐に殺害されるなど、両派は激しい派閥争いを繰り広げていましたが、「天皇の名によって議会を停止し、私有財産を国有化して社会主義的政策を実行する」という目的は両派共通のものでした。
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