聖徳太子は、隋と最前線で戦う高句麗や、古くから付き合いのある百済と三国で同盟を結んだ後、607年に小野妹子(おののいもこ)を使者として遣隋使(けんずいし)を送りました。その際に隋に送った国書(こくしょ)が、有名なあの文面です。
「日出(ひい)ずる処(ところ)の天子(てんし)、書(しょ)を日没(ひぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無きや(つつがなきや、お元気ですか、という意味)」。
国書の内容を簡単に言えば、我が国と隋とをお互い「天子」と同じ立場で表現することによって、それまでの朝貢という上下関係から、天子同士の対等関係の外交を結びたいとする、聖徳太子の毅然(きぜん)とした意思表示(いしひょうじ)でした。




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