義経が去った後の元暦2(1185)年旧暦11月、頼朝は舅(しゅうと)である北条時政を筆頭とする大軍を京都へ送り、後白河法皇に迫りました。
「法皇様の命令によって平氏滅亡に尽力したこの頼朝を、こともあろうに討てとはどういうおつもりですか?」
後白河法皇をはじめとする朝廷は恐怖に震え上がり、頼朝側をなだめるためにやむなく二つの権利を認めました。後世に名高い「守護(しゅご)・地頭(じとう)の設置」です。
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