一方、官位は朝廷から授かるものですから、それを頼朝の承認もなく受け取るということは、頼朝の権威を丸潰(つぶ)れにしてしまいかねない「愚かな行為」なのです。それなのに、よりによって頼朝の実の弟である義経があっさりと朝廷から勝手に官位を受けてしまったのですから、頼朝にとってはたまったものではありません。
現実に、この後で頼朝の家臣の多くが「弟の義経様が受け取るのであれば」といわんばかりに朝廷から次々と任官を受けてしまいました。これらに対する頼朝の嘆きや怒りは凄まじいものであったと伝えられています。
しかし、義経自身は三種の神器と同様に「自分が犯した大きなミス」に全く気がついていませんでした。後に頼朝に送った手紙において「自分が朝廷の任官を受けることは源氏一族にとって名誉なことではないですか」と書いているくらいです。
「政治家」の頼朝と「軍人」の義経とでは、考えがまるで異なるのはむしろ当然とも言えました。この二人の間を取り持つ優秀な人材がいなかったことがお互いの意思の疎通(そつう)を欠かせて、ついには兄弟で対立するという結果を生んでしまったのです。
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