この点に目をつけた頼朝は、三種の神器を自らの手で取り返し、後白河法皇に引き取らせることによって、自身が目指した「武士のための政治の実現」に大きく前進しようと考え、義経に対して「平氏滅亡よりも三種の神器の奪回を優先させて、どんなことがあっても取り戻してこい」と厳命した可能性が高いのです。
ところが、軍事的センスは高いものの、頼朝の政治的センスが全く理解できなかった義経が平氏滅亡に気をとられているうちに、清盛の未亡人が安徳天皇とともに三種の神器を抱えて海の中へ飛び込んでしまいました。
神器のうち勾玉(まがたま)と鏡は取り戻せましたが、草薙(くさなぎ)の剣は海の底に沈んでしまい、ついに取り戻せなかったのです。これでは神器を切り札として後白河法皇に武士の要求を認めさせるどころか、失態を問われることでかえって頼朝の地位が危うくなる可能性すらありました。
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