ところが、ここでも義経が自慢のスピードで奇襲をかけてきました。元暦2(1185)年旧暦2月、義経は嵐の中を少数精鋭の騎馬武者とともに荒海を馬ごと船出しました。通常なら難破してもおかしくないのですが、歴史の神様を味方につけた義経は嵐を追い風に、極めて短時間で上陸を果たすことができました。
上陸した義経軍は海岸伝いに浅瀬を馬で渡って屋島の背後に回り、安徳天皇がおられた御所を急襲しました。またしても義経に不意をつかれた平氏は、天皇を死守するためにも逃げる以外に選択肢がなく、屋島も放棄せざるを得なかったのです。なお、この戦闘は「屋島の戦い」と呼ばれています。
ちなみに、源氏の武者である那須与一(なすのよいち)が平氏所有の船に立てられた日の丸が描かれた扇の要(かなめ)を見事に射抜(いぬ)いたという、平家物語の有名なエピソードはこの際のものです。このエピソードこそが、後の平氏の運命を物語っていたように思われてなりません。
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