それに比べ、本格的な海戦の経験のない源氏の不利は大きく、さすがの義経も苦戦するかと思われたのですが、いざフタを開けてみれば義経の完勝で終わりました。元暦2(1185)年旧暦3月に行われたこの戦闘は「壇ノ浦の戦い」と呼ばれていますが、なぜ義経は未経験の海戦で勝つことができたのでしょうか。
実は、義経は平氏の軍船の操縦者をことごとく射殺することにより、敵の船を動けなくしてしまったのです。船の操縦者は殺してはいけない、というよりそもそも戦いに参加していないというそれまでの常識を打ち破る、まさに「コロンブスの卵」的な義経の柔軟な発想でした。
船が動かなくては勝てるはずがありません。平氏側の武将も奮戦して一時は義経を追いつめ、この際に義経が「八艘(はっそう)飛び」で難を逃れるという場面もありましたが、最終的には敗北し、あれほどの栄華を誇った平氏にも最期の時がやって来ようとしていました。
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