寿永3(1184)年旧暦3月、一ノ谷(いちのたに、現在の神戸市)に陣を敷(し)いて山を背後に軍勢を構えた平氏は、正面から攻めてくるであろう源氏を迎え撃つべく待っていたのですが、義経は山の頂上から、急斜面のため常識では通れそうもない坂を馬ごと一気に下り、平氏の背後を奇襲しました。
不意をつかれた平氏は大混乱となり、一ノ谷を放棄して西へ敗走せざるを得ませんでした。義経の思わぬ奇襲によって源氏が勝利を得たこの戦闘は「一ノ谷の戦い」と呼ばれ、また義経が急坂を一気に下った戦いぶりは、後の世に「鵯越(ひよどりごえ)の逆(さか)落とし」と称(たた)えられました。
義経には常識にとらわれない思考能力と、一瞬のスピードで決着をつけようとする天才的な戦術能力がありました。義経という戦争の天才を得た源氏と、人材不足に悩む平氏との大きな差が、それぞれの今後を象徴していました。
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