源義仲は以仁王の子である北陸宮(ほくろくのみや)を推挙しましたが、結局は高倉上皇の子の尊成親王(たかひらしんのう)が82代の後鳥羽(ごとば)天皇として4歳で即位されました。
しかし、天皇であることを証明する「三種の神器(じんぎ)」が平氏によって持ち去られていたため、後白河法皇はご自身の「治天(ちてん)の君(きみ)」としての権威で後鳥羽天皇を強引に即位させました。
また、後鳥羽天皇が即位されたことで、安徳天皇と同時にお二人の天皇が同時期に存在されることになりました。すなわち、この後に平氏が滅亡して安徳天皇が崩御されるまで約1年半のあいだ、鎌倉時代の末期から室町時代の初期における「南北朝時代」と同じ状態になっていたのです。
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