追いつめられた義仲は、同年旧暦11月に後白河法皇らを幽閉したほか、翌寿永3(1184)年旧暦1月15日には自分を無理やり征東大将軍(せいとうたいしょうぐん)に任じさせました。
しかし、その直後の同年旧暦1月20日、義仲は京都の宇治で範頼や義経の軍勢と激しく戦ったものの敗れ、義経が後白河法皇のお身柄を確保しました。これを「宇治川の戦い」といいます。
義仲は自らの根拠地である北陸への脱出をはかりましたが、近江(おうみ、現在の滋賀県)の粟津(あわづ、現在の滋賀県大津市)で大軍に囲まれて討ち死にしました。享年(きょうねん)31歳でした。
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