令旨を受け取った当初の頼朝は、平氏の圧倒的な軍事力と流人(るにん)である自分に付き従う兵力がないことを考慮し、態度を保留していました。
ところが、味方と思っていた源頼政の裏切りに激怒した平清盛が全国に散らばる源氏の残党勢力に対して追討命令を出したため、頼朝の身にも危険が迫りました。追いつめられた頼朝は、まさに「窮鼠(きゅうそ、追いつめられたネズミ)猫を噛む」思いで打倒平氏に立ち上がったのです。
なお、以仁王の挙兵を契機に各地で起きた平氏政権に対する反乱は、最終的には平氏が滅亡する元暦(げんりゃく)2(1185)年まで足かけ6年間にわたる大規模なものとなりました。今日では、これらの内乱を総称して「治承・寿永(じゅえい)の乱」といいます。
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