翌治承4(1180)年、清盛が外孫(がいそん、他家へ嫁に行った娘が生んだ子のこと)にあたる安徳(あんとく)天皇をわずか3歳(満1歳2か月)で即位させるなど、平氏政権は有名な「平氏にあらずんば人にあらず」という言葉に象徴される絶頂期にありました。
しかし、法皇を幽閉させるという強引な手法が周囲の批判を受けたほか、平氏が摂関家と同じ手法で政治を行ったことで「裏切られた」と感じた武士たちの怒りや、自分たちの真似をされたと憤慨(ふんがい)した貴族らの怒りを買うなど、平氏政権に対する不満が全国で次第に高くなっていきました。
後白河法皇の第二皇子にあたる以仁王(もちひとおう)もその一人でした。治承4(1180)年、以仁王は平氏を倒して自らが新たな天皇として即位するという夢をかけて、源氏の長老であった源頼政(みなもとのよりまさ)と挙兵し、全国に平氏打倒の令旨(りょうじ、皇太子による命令書のこと。ただし、以仁王は皇太子ではないので、厳密には意味が異なる)を発しました。
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