また、昭和10(1935)年には重化学工業の生産額が軽工業の生産額を上回り、昭和13(1938)年には金属・機械・化学工業の合計生産額が工業生産額の過半数を占めるようになるなど、産業構造の全体が軽工業中心から重工業中心へとシフトし始めました。
鉄鋼業では、八幡製鉄所を中心とする大合同によって昭和9(1934)年に日本製鉄会社が創立され、鉄鋼生産を独占するとともに鋼材の自給が達成されました。また自動車・航空機・化学などの部門で日本産業(=日産)や日本窒素(ちっそ)(=日窒、にっちつ)などの新興財閥(ざいばつ)が台頭し、満州や朝鮮へも進出しました。
一方、既存の財閥も満州事変後から次第に重化学工業の部門に進出したことで、産業界は活気づいて不況から立ち直っていきました。
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