ブロック経済を形成していたイギリスなどの列強は、こうした我が国の政策をソーシャル=ダンピング(=国ぐるみの投げ売りのこと)と非難し、関税を大幅に引き上げる対抗措置(そち)を行いました。
また、綿布の製造などに必要となったこともあってアメリカからの綿花や石油などの輸入が増大し、我が国のアメリカに対する依存度が高くなっていきました。
円安による輸出の急増は結果として様々な産業の活性化をもたらし、昭和8(1933)年には経済成長率が2ケタを記録するなど、我が国が世界恐慌以前の生活水準に回復するとともに、日本経済が昭和恐慌からの脱出に成功しましたが、これは世界の資本主義国家の中でもっとも早かったのです。
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