斎藤内閣は立憲政友会や立憲民政党からも閣僚を迎え、いわゆる挙国一致内閣をめざしたことで世論の支持を集めました。また、その後を継いだ岡田啓介(おかだけいすけ)も同じく穏健派の海軍大将の出身でした。
三月事件・十月事件から血盟団事件、さらには五・一五事件と続いた一連のテロリズムは為政者や財界を震え上がらせましたが、海軍の穏健派の重鎮を次々と首相に選んだことによって、表向きは動揺が収まったように見えました。しかし、その裏では国家社会主義思想が軍部を中心に確実に浸透(しんとう)し、やがては我が国全体を巻き込んだ前代未聞の大事件が起きてしまうのです。
なお、五・一五事件が起きる頃までには農村の疲弊(ひへい)が広く認識されたことで、財閥が次々と「転向」し、救済事業が開始されています。
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