なお、血盟団は日蓮宗の僧侶(そうりょ)である井上日召(いのうえにっしょう)を指導者とし、政党や財閥の関係者を「一人一殺(いちにんいっさつ)主義」で暗殺しようとしました。
血盟団事件は大きな反響を呼び、昭和9(1934)年には実行犯と井上日召が無期懲役に処せられましたが、全国から彼らに対する減刑の嘆願書が寄せられ、中には血書で記されたものがあったり、それとは別に女性の黒髪が弁護人に送られたりしたこともあったなど、当時の国民は血盟団によるテロ行為を「世直し」とみなし、事件が世間の同情を集めるようになっていました。
こうした「目的達成のためには暗殺などの非常手段も辞さない」という精神はその後も続き、昭和7(1932)年5月15日に、それまでの政治や外交に強い不満を持っていた海軍の青年将校を中心とした一団が首相官邸を襲い、犬養毅首相を射殺しました。この事件は今日では「五・一五事件」と呼ばれています。
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