金融恐慌や昭和恐慌といった不況や、ロンドン海軍軍縮条約が引き金となった統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)問題、さらには協調外交という名の弱腰ぶりがもたらした満州事変などをきっかけとして、不況により生活苦にあえいだ国民は政党政治や財界への不信感を強め、こうした流れがやがて軍人や国家社会主義者らによる国家改造運動へとつながっていきました。
彼らは我が国が行きづまった原因が財閥や政党政治の腐敗(ふはい)ぶりにあると断じ、これらを打倒して軍部を中心とする強力な内閣を誕生させて内外政策の大転換を図ろうと考えましたが、それは同時に、国家社会主義の実現のために自由主義経済を攻撃する生贄(いけにえ)として財界首脳や政治家などを選び、彼らに「血の粛清」をすることを意味していました。
昭和6(1931)年に入ると、陸軍の幕僚将校(ばくりょうしょうこう、司令部に直属し参謀事務に関与する将校のこと)である橋本欣五郎(はしもときんごろう)を指導者としたほか、陸軍の中堅将校を構成員とした政治結社の桜会が中心となり、民間の思想家である大川周明(おおかわしゅうめい)らも参加して軍部内閣樹立のクーデターを2度も計画しましたが、いずれも事前に発覚して失敗に終わりました。
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