もし満州国が我が国の傀儡国家として植民地のような厳しい対応をしていれば、少なくとも執政(後に皇帝)となった溥儀を強引にその座に就かせたはずなのですが、実際には溥儀は自ら望んで執政や皇帝の地位に就きました。
なぜなら、清朝はもともと満州から中国大陸に進出した国家であり、満州国の建国は「元来の発祥(はっしょう)の地に清朝が復活した」ことを意味していたからです。だからこそ、溥儀は父祖の故郷である満州への帰還を自ら希望したのであり、言うならば満州族の正当な皇帝が故郷に戻っただけなのです。
さらに付け加えれば、万里の長城の北に位置する満州はそれまで歴史的にチャイナの領土になったことは一度もありません。確かに清朝は満州を自己の領土としましたが、同時にそれはチャイナが満州に併合されたことを意味していました。
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