そんな折の1928(昭和3)年6月、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民革命軍が北京に入城して北伐(ほくばつ)を達成し、また軍閥の張学良(ちょうがくりょう)も参加したためにチャイナの統一が実現して、新たに南京(ナンキン)を首都とした国民政府をアメリカやイギリスなどが承認しました。なお、我が国が国民政府を承認したのは昭和4(1929)年6月のことです。
我が国としては、万里の長城よりも南の大陸を国民政府が支配することには問題なかったのですが、国民政府がかつての清朝時代に締結した条約の廃棄(はいき)を1928(昭和3)年7月に宣言し、日本が保持する権益を国民政府が回収して国権を回復するという近代国家の手法とは思えない政策に乗り出したため、我が国との関係が悪化しました。なお、これらの政策は「国権回復運動」または「革命外交」と呼ばれています。
また、国民政府に合流した張学良が満州における主権回復をめざし、国民政府の青天白日旗(せいてんはくじつき)をそれまでの五色旗に替えて満州の主要都市に掲(かか)げました。これを「易幟(えきし)」といいます。
張学良による易幟は「満州は国民政府のものである」と宣言するに等しく、満州に権益を持つ我が国への宣戦布告と同じ意味を持っていました。この後、我が国は満州において高まる排日運動や、在留邦人あるいは満州における権益への度重なる被害に悩まされるようになり、まさに「満蒙(まんもう)の危機」と言えました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。