ところが、軍部が火をつけ、政友会が油を注いだ統帥権干犯問題はもはや止めることができず、ロンドン海軍軍縮条約そのものは何とか批准(ひじゅん、国家が条約の内容に同意すること)に成功したものの、先述のとおり浜口首相が昭和5(1930)年11月に東京駅で狙撃(そげき)されて重傷を負い、翌昭和6(1931)年4月に内閣総辞職をした後、同年8月に死亡しました。
統帥権干犯問題は確かに大日本帝国憲法における欠陥ともいえましたが、憲法制定当初は全く問題視されていませんでした。それがなぜ、制定から40年以上も経ってから我が国に深刻な影響を与えるようになったのでしょうか。
その背景には、例えば伊藤博文(いとうひろぶみ)のような明治維新の元勲(げんくん、国家に尽くした大きな功績のある人のこと)たる「元老(げんろう)」の存在があったのです。
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