そもそも、明治維新や明治新政府は元老たちが明治天皇の下で起こしたのですから、元老の意見は天皇の意見と同じだけの重みをもっていましたし、その元老たちの推薦(すいせん)によって内閣総理大臣が選ばれたことから、首相や内閣も天皇や元老と一体のものと考えられていたのです。
これだけの重みがある以上、たとえ大日本帝国憲法に規定のなかった内閣であってもその指導力はいかんなく発揮され、日清戦争や日露戦争の際にも、その絶妙な政治的判断によって我が国は国難を何度も乗り越えてきました。
しかし時が流れ、昭和を迎える頃には元老のほとんどが死に絶えてしまい、大正期に元老となった西園寺公望(さいおんじきんもち)のみとなってしまいました。こうなると、元老の意見が天皇の意見と同じであると誰も思わなくなり、同時に内閣の権威も低下してしまったことで、統帥権干犯問題が表面化してしまったのです。
そして、そんな統帥権干犯問題をさらに拡大してしまったのが、本来は軍部をコントロールする立場であるはずの政党であったことが、何とも言えない皮肉でもありました。
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