江戸幕府が滅びて明治維新を迎える頃にも、久重は我が国初となる製氷機や自転車・人力車・精米機・写真機、あるいは川の水を引き上げる昇水機など、日常生活に密着した様々な製品の発明や改良を行い続けました。
明治6(1873)年、75歳の久重は故郷を離れて新首都の江戸改め東京へと移住し、電信機の製造など西洋技術の国産化に大きく貢献しました。
さらに明治8(1875)年には、文明開化の象徴とされたレンガ造りの建物が並ぶ銀座(ぎんざ)へと移り、「万般(ばんぱん)の機械考案の依頼に応ず」という看板を掲げた店舗を構えました。
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