アームストロング砲はその後も大いに活用され、同年の会津(あいづ)戦争では会津藩の鶴ヶ城(つるがじょう)を落城させました。アームストロング砲によって激しく損傷した当時の鶴ヶ城の写真が今も残されています。
こうした功績が認められたことによって、明治維新以後のいわゆる藩閥(はんばつ)政府において肥前藩は薩摩(さつま)藩や長州藩、あるいは土佐(とさ)藩とともに「薩長土肥(さっちょうとひ)」と並び称されるようになりました。
また、肥前藩出身の人材が明治政府に登用されたことで大隈重信(おおくましげのぶ)が活躍しました。やがて彼は明治15(1882)年に東京専門学校を設立しますが、これが今の早稲田(わせだ)大学につながっています。
肥前藩や維新後の大隈重信らの活躍、あるいは早稲田大学が現代においても慶應義塾(けいおうぎじゅく)大学ともに「私学の雄」とされているのは、田中久重が製作したアームストロング砲の功績あってこそともいえるのです。
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