新たな知識を自分のものとした久重は、日の出と日の入りの間をそれぞれ6等分するという、季節によって時間の長さが上下する我が国独特の不定時法(ふていじほう)に合わせた和時計(わどけい)である「須弥山儀(しゅみせんぎ)」を嘉永3(1850)年に製作しました。
さらに翌嘉永4(1851)年には、からくり時計の最高傑作となる「万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)」を完成させました。
通称を「万年時計」として知られるこの時計は21世紀の平成16(2004)年に復元され、翌平成17(2005)年の「愛・地球博」にレプリカが展示される予定でしたが、あまりに精巧な技術を使用していたため解析に時間がかかり、博覧会の開催までに完全な復元が間に合わなかったそうです。
万年時計によって久重がさらに名を挙げたこの頃、嘉永6(1853)年にアメリカのペリーが黒船で来航して世は幕末となり、西洋に負けない技術力が必要となっていました。そんな時代に合わせるかのように、久重の人生にも新たな進展が見られるようになっていくのです。
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