その女性とは、同じ久留米に住んでした井上伝(いのうえでん)であり、彼女は久留米絣(くるめがすり)の創始者でしたが、絣に絵を入れることがどうしても出来ず、儀右衛門に依頼したのでした。
儀右衛門は伝の期待に応えて、絣に絵模様(えもよう)を織り込むための織機(しょっき)を完成させ、久留米絣の技術をさらに向上させることに成功しました。この時、儀右衛門はわずかに15歳です。
発明家として自信を深めた儀右衛門は、愛読していた「機巧図彙(からくりずい)」という様々なからくりの仕掛けを図解した本の影響も受けて、寝る間も惜しんで創作に明け暮れる毎日を送っていました。
そんな儀右衛門に対して、父の弥右衛門はべっこう細工の家業を継いでくれるように願っていましたが、創作意欲に燃えていた儀右衛門は、やがて「日本一のからくり師」を目指して自分で生計を立てる決意をしました。
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