金解禁の際に問題となったのが、円とドルとの交換比率でした。当時の為替相場が100円=44ドル前後(1ドル=2.300円前後)であった一方で、金の輸出入を禁止する前は「1ドル=2.005円」でした。もし現在の相場を基準とした新平価(平価とは「外貨と比べての価値」のこと)で金解禁を行えば円安となり、日本製品の輸出に有利となります。
しかし、浜口内閣は新平価での金解禁を主張した国内の反対の声を押し切るかたちで、旧平価である「金2分=1円=0.49875ドル(1ドル=2.005円)」での交換によって、昭和5(1930)年1月11日に金解禁を断行しました。
これでは円高となって輸出に不利となりますが、円の価値を下げて解禁に踏み切れば国としてのメンツが立たないのと、国内の企業をあえて逆境の中に放り出すことによって合理化と体質改善を行わせ、結果として国際競争力を強化させるという狙(ねら)いがあったとされています。
ところが、浜口内閣や井上蔵相によるこうした目論見(もくろみ)は完全に裏目となってしまったのです。
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