「今後、内閣が私に上奏することは、たとえ自分の考えと反対の意見であったとしても、裁可を与えることにしよう」。
昭和天皇にとっては立憲君主というご自身のお立場をお考えになってのご決断でしたが、時代は統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)に関する問題が深刻化しており(詳しくは後述します)、陛下のご決断は、結果として軍部の様々な行動を黙認されることにつながってしまいました。
これ以降、昭和天皇は内閣とは無関係にご自身で政治的な問題に決断されることが2回ありました。それは、昭和11(1936)年2月の「二・二六事件」と、昭和20(1945)年8月のいわゆる「終戦のご聖断」です。
なお、張作霖爆殺事件は関東軍の河本大作大佐が首謀者であったと長いあいだ考えられてきましたが、最近の研究ではソ連のコミンテルンによる謀略ではないかという説も出てきています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。