昭和2(1927)年の中国大陸では、蒋介石(しょうかいせき)の国民革命軍による北伐(ほくばつ)が急激に進み、北京・天津(てんしん)方面から山東(さんとう)半島へと迫りつつありましたが、山東半島には数多くの日本人が居留していたほか、莫大(ばくだい)な投資を行っていましたため、先述した南京(ナンキン)事件や漢口(かんこう)事件といった悲劇を繰り返さないためにも、これらの人的あるいは物的な保護が政府の大きな課題となりました。
昭和2(1927)年5月、田中内閣はイギリスやアメリカ・フランス・イタリアといった諸外国に事前に連絡し、反対がないことを確認したうえで山東半島へ向けて出兵しました。これを「第一次山東出兵」といいます。
第一次山東出兵の後で、蒋介石が北方軍閥(ぐんばつ)に敗れて北伐を中止すると、山東半島における危機が去ったとみなした日本軍は同年9月までに撤兵しました。
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