なお、清国がアヘン戦争に敗北した天保13(1842)年に我が国は「天保の薪水(しんすい)給与令」を出しました。これは、我が国を訪問した外国船に対して食糧や燃料を与え、速やかに退去してもらうというものでしたが、確かにこの法令によって外国との無意味な衝突は避けられたものの、そんな小手先な手段を採るよりも、我が国が自主的に開国すれば何の問題もないはずでした。
この頃までに幕府は鎖国が「祖法(そほう、先祖の代から守るべきしきたりのこと)」であると固く信じていましたが、間違った認識を言い続けることで自身をも騙(だま)して判断を誤る(今も行われているかもしれませんが)という自家撞着(じかどうちゃく、同じ人の言動や文章が前後で食い違っていること)が我が国最大の危機と幕府崩壊への序章になったのです。
言うまでもないことですが、いわゆる「鎖国」を行ったのは徳川家康ではなく、よって幕府の「祖法」ではありません。
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