また、アイヌの自立を目指した意次は農作業を教えようとまで計画しました。これは、アイヌの生活を安定化させると藩の財政を支えるサケや毛皮などをとって来なくなるからという、松前藩の身勝手な理由で農民化を禁止していたのとは全く正反対の政策でした。
意次の蝦夷地に関する政策は実に開明的であり、またロシアとの交易も視野に入れていたという事実は、我が国の自主的な開国への大きな一歩となったはずだったのですが、翌天明6(1786)年に意次が失脚すると、彼に代わって政治の実権を握った松平定信(まつだいらさだのぶ)によって、意次の政策が中止されてしまったのです。
もし意次があと数年政治の実権を握っていればと惜しまれるところですが、私は史実よりももっと早く、安永(あんえい)9(1780)年に意次が蝦夷地の調査を開始していれば、恐らく我が国は自主的に開国をなし得ていたと考えています。
なぜなら、安永9(1780)年は昨年の令和2(2020)年と同じ「庚子(かのえね)」の年だからです。
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