慶長(けいちょう)8(1603)年、徳川家康(とくがわいえやす)は朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられて江戸に幕府を開きましたが、当時の家康は諸外国との貿易に積極的であったのみならず、オランダからの要請で日本人傭兵(ようへい)を「輸出」していました。
最近発見された資料によって、オランダが多くの日本人傭兵を輸入していたことが分かりました。傭兵となった「サムライ」たちは、当時イスパニア(=スペイン)が支配していたインドネシアのモルッカ諸島を攻略するなど大活躍し、いわゆる「オランダ領東インド」の植民地獲得に貢献したのです。
しかし、そんな傭兵たちは戦争に強かったと同時に気性が大変に荒く、現地の指揮官は彼らの扱いに細心の注意を払わなければなりませんでした。
なぜなら、戦国時代は「人を殺せば出世する」からであり、その流れは当時の一般庶民まで同じだったからです。
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