さらに19世紀に入ると、一部の地主や商人などが作業場を設け、農業から離れた賃労働者である奉公人を集めて手工業(しゅこうぎょう)として生産を行う「マニュファクチュア(工場制手工業)」に進化して、1830年代までには大坂や尾張(おわり、現在の愛知県西部)の綿織物業や北関東の絹織物業などで見られるようになりました。
マニュファクチュアのような商品生産やそれに伴う賃金労働は資本主義の源流であることから、我が国が鎖国をせずに世界の技術革新(=イノベーション)などによる変化に対応できていれば、独自に産業革命が起きていた可能性が高いのです。
もし我が国が東アジアで19世紀当初までに確固たる国づくりを完成させていれば、史実における帝国主義(=政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)も全く違った様相を呈(てい)したことでしょう。
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