それ以外には、政治学で先述のとおり吉野作造(よしのさくぞう)が「民本主義」を唱えたほか、法学では美濃部達吉(みのべたつきち)が、民俗学では柳田国男(やなぎだくにお)らが現れました。
このうち、美濃部達吉は大正元(1912)年に「憲法講話」を刊行して、法人としての国家が統治権の主体であり、天皇は憲法に従って統治権を行使する国家の最高機関として存在するという「天皇機関説」を唱えました。
また、柳田国男は、農村に古くから伝わっている民間伝承や風習・祭礼などを通じて、我が国の民衆文化を明らかにする民俗学を確立しました。
この他、ロシア革命の影響は学問研究の分野にも及び、経済学では河上肇(かわかみはじめ)が大正5(1916)年に「貧乏物語」を著してマルクス経済学を紹介するなど、マルクス主義が知識人に大きな影響を与えました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。