また、研究機関として理化学研究所が大正6(1917)年に創立されたり、航空研究所・鉄鋼研究所・地震研究所などが相次いで設立されたりしました。
ところで、この当時の教育の普及はめざましく、義務教育の就学率がほぼ100%となったほか、中等・高等教育機関も充実しました。例えば、中学校の数は大正4(1915)年には321校であったのが大正14(1925)年には500校を超え、また生徒数も大正9(1920)年の約17万人から昭和5(1930)年には約34万人と倍増しています。
なお、原敬(はらたかし)内閣は高等教育機関の充実を進め、旧制高等学校が大幅に増加したほか、大正7(1918)年には大学令を公布して、総合大学である官立の帝国大学以外にも単科大学や公立・私立の設置を認めました。なお、この大学令に基づいて大正11(1922)年に関西法律学校を前身とする「関西大学」が発足しています。
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