戦争当時、彰義隊は約1,000人の兵力を持っており、簡単には決着しないと思われましたが、新政府軍が肥前(ひぜん)藩の所有するアームストロング砲などの最新兵器を活用したことで戦いは1日で終わり、彰義隊は壊滅しました。
鳥羽・伏見の戦いと同様に最新兵器の能力の高さを思い知らされる戦争となりましたが、敗れた彰義隊の残存兵力は東北地方などへ落ちのび、戦いはさらに続くことになりました。
なお、上野から少し離れた現在の東京都港区浜松町で慶應義塾(けいおうぎじゅく)を開いていた福沢諭吉は、遠くから聞こえてくる戦争の轟音(ごうおん)が響くなかでも平然と自ら講義を続けていたというエピソードが残っています。
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