当時の兵力は、旧幕府軍の約15,000名に対して新政府軍は約5,000名しかおらず、旧幕府軍は有利な戦いが出来ると思い込んでいました。しかし、いざ蓋(ふた)を開けてみれば新政府軍の圧勝に終わったのです。
新政府軍が勝利した大きな理由の一つとしては、旧幕府軍と比べて最新鋭の鉄砲などの火器が充実していたことが挙げられます。戦いはもはや兵力の多寡(たか、多いか少ないかの量のこと)ではなく、いかに優れた火器を多く使用できるか、という点が重視されていました。
さらにもう一つの大きな理由は、新政府軍が明治天皇から下賜(かし、高貴の人が身分の低い人に物を与えること)された「錦の御旗(みはた)」でした。戦場に錦の御旗が掲げられたということは、新政府軍が官軍となった一方で、旧幕府軍が賊軍、つまり「朝敵(ちょうてき)」になったことを意味していました。
そして、この厳然たる事実にもっとも敏感に反応したのが前将軍の徳川慶喜だったのです。
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