そんな中、慶応2(1866)年旧暦1月に同盟を結んだ薩摩・長州の両藩は、公家の岩倉具視(いわくらともみ)らと結んで武力による討幕を目指していましたが、実は、薩長側がどれだけ優位に展開していようが「いきなり幕府を倒す」ことは不可能でした。
なぜなら、幕府が成立した背景に天皇が深くかかわっておられるからであり、この事実をしっかり理解できなければ、本来は楽しく学べるはずの歴史が、苦痛でしかない「単なる知識の暗記」で終わってしまうのです。
そもそも「幕府」という言葉には、チャイナにおける「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」という意味がありました。この場合、チャイナの皇帝は将軍に戦争をさせやすいように、戦地における徴税権や徴兵権を将軍に与えていました。
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