全国の農村や都市部で世直し一揆や打ちこわしが頻発(ひんぱつ)したほか、後に教派神道(きょうはしんとう)と呼ばれた備前(びぜん)の黒住教(くろずみきょう)や大和(やまと)の天理教(てんりきょう)、備中(びっちゅう)の金光教(こんこうきょう)などが急激に広まり、伊勢神宮への御蔭参(おかげまい)りも爆発的に流行しました。
庶民による巨大なエネルギーは、慶応3(1867)年の秋から冬頃の東海道や近畿地方にかけて熱狂的な「ええじゃないか」という集団行動をもたらし、討幕運動にも大きな影響を与えるようになりました。
一方、幕府は積極的に西洋文化を受けいれるようになり、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で様々な洋学が教えられたほか、医学分野では種痘所(しゅとうしょ)が設けられました。また、幕府や薩長などの諸藩から多くの留学生が派遣されました。西周(にしあまね)や津田真道(つだまみち)、福沢諭吉や森有礼(もりありのり)、あるいは伊藤博文(いとうひろぶみ)や井上馨(いのうえかおる)らが有名です。
なお、開国によって外国人の宣教師や新聞記者が来日したことで、彼らを通じて西洋文化が直接広まったほか、浮世絵(うきよえ)をはじめとする我が国の文化が1867年に開かれたパリ万国博覧会で紹介されるなど、文化の交流も盛んとなりました。
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