第二次長州征討は幕府に不利な戦況となり、大坂城へ出陣していた14代将軍の徳川家茂が同年旧暦7月に21歳の若さで急死すると、それを口実に戦闘を中止しました。
第二次長州征伐の失敗は、武力で他藩を支配することで成り立っていた幕藩体制の崩壊を意味しており、幕府の威信は文字どおり地に堕(お)ちましたが、そんな幕府に追い打ちをかけるように、同年末に大きな不幸が起きてしまいました。
慶応2年旧暦12月(1867年1月)に孝明天皇が36歳の若さで崩御(ほうぎょ、天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになること)されたのです。孝明天皇は攘夷のお考えが強かったものの、討幕を好まれずに公武合体のお立場であっただけに、幕府にとっては大きな痛手となりました。
なお、孝明天皇の第二皇子の明治天皇が16歳で122代天皇として即位されたほか、幕府の15代将軍として御三卿(ごさんきょう)の一橋家で水戸藩出身の徳川慶喜が就任しています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。