しかし同盟をあきらめなかった龍馬や中岡は、討幕のために最新鋭の武器が欲しい長州藩と、琉球(りゅうきゅう)を通じての密貿易が得意な薩摩藩という経済的な立場から結びつけることで、薩長両藩の和解を進めました。
こうした努力が実って、慶応2(1866)年旧暦1月に薩長両藩はついに軍事同盟の密約を結びました。これを「薩長同盟(あるいは「薩長連合」)」といいます。
一度は激しく戦った薩長両藩が軍事同盟を結ぶまでに関係を修復させたのは、間違いなく龍馬や中岡の大きな功績であり、また両藩が経済的な結びつきから和解につながったという事実は、土佐の商家出身であり、現在の株式会社の原型ともいえる「亀山社中(かめやましゃちゅう)」を組織していた龍馬ならではの発想といえるのではないでしょうか。
なお、龍馬の亀山社中は慶応3(1867)年に「海援隊(かいえんたい)」と名を改めています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。